セクキャバに沈没す

新宿ゴールデン街が復興したという記事が新聞に掲載されていた。バブル期に地上げに遭い、店が潰れ、ここ数年はゴーストタウンのように閑散としていたが、昨年あたりから、若い経営者たちが新しい店をオープンさせて、ようやく飲屋街の様相が戻ってきた。とは言え、通りはまだひっそりとして昔の活況には程遠いように思える。

それに引き替え、通り1本隔てた歌舞伎町は、何たる繁栄なのか。
人、人、人。
あんちゃん、学生、サラリーマンが溢れ、オヤジに、ヤクザに、ホームレスが行き交う。通りを歩くと、呼び込み、ガイド、客引きと、ギャルに、人妻、お姉ちゃんが声を掛けてくる。奥に入ると台湾、中国、フィリピンから、ロシア、ベラルーシルーマニアが連呼され、路地を回って南米のコロンビア、コスタリカ、ブラジルが秘密の合言葉のように囁かれている。

あーあ、いったい、ここはどこの国。

ネオンのジャングルを探検すると、パブに、スナック、キャバクラが乱立し、ソープ、ヘルスに、イメクラと続く。電飾看板に目をやると、デート、個室に、出張と、SM、セレブで、性感などが、ピンクの文字で点滅する。

あーあ、この蛍光管の森林浴、なんだか頭がクラクラする。

それにしてもこの熱気は何だ、と人酔いに疲れて立ち止まったその刹那、
「兄さん、イイトコ、あるよ」人懐っこい笑顔のオヤジに呼び止められた。
「ウン!? オレ? 今日は打ち止め。静かな店で一杯飲んで帰るよ」
通りを歩いただけで、幾分、食傷気味の当方、やんわり相手をかわして立ち去ろうと思う。
「静かな店、まかせてよ! ぴったりな店があるよ」
オヤジは自信ありげにうなずく。
「言っとくけど、ふうぞくならお断り、普通の店なら入ってもいいけど」
「ふつうの、静かな、癒し系のお店だよ!」
ニッと白い歯を見せる。邪気の無い笑顔にこちらの気が緩んだ一瞬、グイと手を引かれて目前の店に入る。
子羊を導くような慈愛の表情を浮かべ、
「この時間、割引だよ、楽しんでね」オヤジが通りに戻っていく。

「あーあ、鴨になっちゃったよ」
独り言をいう間もなく、8000円を払って店の中に引き入れられると、薄暗いフロアにミラーボールの光がくるくる回り、クラブサウンドがガンガン鳴っている。
「ど、どこが静かな店やねん」
黒スーツの店員に案内されて狭い席に着く。
「お飲み物は」
「ビール」
おしぼりと缶ビールが1缶、そのまんま、味気なくテーブルに置かれた。
「こ、これが癒し系だって・・・」
周囲を確かめる。シートはすべて前面に向けられ、まるで場末の映画館。時間が早いせいか、客もまばら、女の子も客に一人の、なんとなく侘しい感じ。
「これで商売になるのかな・・・」と思ったそのとき、白い影が隣に座った。
「可奈でーす」
「え、カナちゃん?」
「そ、可奈でーす」
店のサウンドがうるさくて、よく聞こえない。相手の耳元に近づいて言葉を交わす。
「いくつ?」
「にじゅういち」
「なんだか、音楽がうるさくて、話が上手くできないね」声を張り上げる。
女のコはかぶりを振ると、いきなりミニスカートをたくし上げ、当方の膝の上に馬乗りになって座る。と、目の前に顔がある。しかもあまりに近過ぎて、目の焦点が合わないくらいだ。
「こうすると、話ができるわよ」
顔と顔がぶつかりそうになる。少しそらすと、お互いの口元に相手の耳が来る。確かに、これなら話ができる。

でも、この態勢はなんだか不自然だ。たとえば、こちらの手が宙に止まったまま行き場を失っている。なぜなら、手を下ろすとむき出しの脚に触れてしまうし、背中に回して垂らすと、今度はお尻に触れてしまうので、どうにも落着かない。
「あ、あのう、確かに話し易くなったけれど、ぼくの手をどこに置けば良いのか、その、つまり困っているんだ……」
女のコがケラケラ笑い出した。
「ホントだ、身体が固まってる」
彼女はこちらのぎこちなさが可笑しくてならない風だった。
「お客さん、なんて名前?」
「ニシヤン」
「初めて来たの?」
「そう」
「じゃ、教えてあげる。この手はね、どこに置いてもいいの」

そう言って、可奈ちゃんは、いきなり手を取って、自分の胸に押し当てた。当方、突然、鼻血が出そうになる。ブー。
「可奈ちゃん、ちょっと離れて、顔を見せて」
相手の肩を押さえて、顔全体が識別できるだけの焦点距離をとる。
美人だ。
ま、きっとこう書くと、作り物の文章のようになるけれど、彼女は昼の光線の下で見ても、おそらく振り返りたくなるような可憐さと華やかさとコケティッシュな色気を持ち合わせている。つまり、一般的な男なら一様にお熱を上げるタイプの女性に見える。
「可奈ちゃんは、とっても美人だね」
感動を、素直に表現する。
相手は一瞬、虚を突かれたように真顔でこちらを覗き込む。その表情の変化を見て、当方も一矢を報いたことに気づく。
「可奈ちゃんような美人なら、お客さんの指名も多いんだろ?」
首を横に振って
「指名はね、わたし、少ないの」と恥ずかしそうに答える。そのシャイな表情が意外に思えた。
「でも、こんなに美人なら、お客さんも放って置かないだろ」
「そんなことないわ、だってたくさんの女のコとお話した方が愉しいでしょ」
「オレなら、可奈ちゃん一筋で、セッセと通い詰めるけどなあ」

ちょっと言い過ぎかもしれない、と思いつつ、相手を賛美し続けると、いきなりズームアップされた肉厚の唇が当方の唇に重なっていた。
頭が真っ白になる。いったいこの店は何?
「今だけ……ニシヤンのコイビトなの……」

それからどれぐらい時間が経ったのか、店員がセット時間を告げに来るまで、当方、膝の上の可奈ちゃんに翻弄される。
確かに、この店はふうぞくではない。といって、ふつうのキャバクラでもない。あとで分かるんだけれど、セクシーキャバクラ、俗にセクキャバって言うんだね。いろんな店のいろんなサービスが歌舞伎町にはある。

表に出ると、例のオヤジがまた客引きをしていた。すれ違いに声を掛けると、
「お兄さん、癒し系だったろ!」と店を指して、ウインクをする。
当方、うなづく。不思議な満足感が身体を包んでいる。きっと、湯に浸って酒を飲んでいるような、やっとトイレに間に合ったときのような、間抜けな表情を浮かべていたに違いない。

改めて夜の街の奥深さを思い知る。セクキャバ大好き。