敵は幾万ありとても

最近、知らない店にフラリと入ることが多くなった。だからどうってこともないけれど、初顔なのに、さりげなく酒を飲み、なんとも店の空気に馴染んでいる。そんな感じを楽しむようになった。

もちろん、当たりハズレは、ある。
が、ハズレは、コチラの修行不足と考え、店を恨まず、己を戒める。まるで宮本武蔵の心境、と言うのはウソだが、逆に思いもよらずスッポリ店の空気にハマると、なんとも酒場が楽しく思える。

先日、路地裏の飲屋街を歩いていると、クリスマスの電飾に使うような豆電球が明滅する店があった。そんな子供っぽい電飾が、却って店を侘しく見せ、当方としては感心しない。普通は立ち入らないタイプの店に思えるが、通り過ぎようとすると、少し開いた扉から華やかな声が漏れてくる。

…ウン、けっこう流行ってる…

入る気もなく隙間から中を覗く。店は客で溢れ、しかも若い女性の嬌声まで聞こえてくる。
久しぶりに訪れた飲屋街、懐かしさで、一通り見知った店を確認して歩くと、すでに深夜を回って、開いている店がない。で、気が付くと、再び電飾の店の前にいる。

…この店はハズレかも…

そう思いつつ、思い切って扉を開ける。
先程の喧騒は消え、落着いて話し込んでいる風だった。一人の客が奥に座っているカップルに何か諭しているといった図である。当方、ママを見るともなく見て、カウンター中央に座る。一瞬、周囲の視線を集める。

「あのう、お客さんは!?」
「ハーパアの…水割りを…」

間髪入れず、しかしゆっくり答える。このタイミングを間違えると別の会話になってしまう。

「初めてですか?」
「ええ」
「申し訳ありませんが、閉店なんですよ」
「そうですかあ、残念だな」

初めての店、初めてのママ、との対話は剣道の立会に似ている。近すぎず、遠すぎず。踏み込まず、踏み込まれず。己を捨て、店に同化し、一体となる。無にして有、有にして無限。

…ウン、当方は何を口走っているのだ!? …

なぜこんなことを言うかといえば、目の前で入店を断られる客を多数見てきたからである。中でもこんな客はいただけないのである。

「あ、あのう。こちらの店の料金システムを教えてくれませんか?」

失格である。店を見て料金システムも予知できないなら、一見の客として新しい店にチャレンジしてはいけないのである。が、気持ちは分かる。地方出張なんかだと、よく店を間違えてボラれたりするからね。

で、ともかく当方、初めての店に潜り込むことに成功したわけである。

「初めて…ですよね」
「ええ」
「どうして…こちらに?」
「外の点滅が気になって」
「…!?…」

現実に、上記のような会話だった。つまり、要領を得ない会話。だから、互いに踏み込めず、理解できず、会話にならない。

「あのう…お名前は」
「この街ではニシヤンと呼ばれてる」
「ニシヤン…?…」

コレが初めて入った店での、すべての会話だった。
当方、とても満足である。これ以上、何も話す必要はないのだ。しかも、後はその場の空気に合わせ、自然にリラックスし、周囲の警戒心も解け、さらに存在感さえも薄れていく。忍法木葉隠れの術ならぬ、酔い隠れの術である。

そうなんだ。以前、銀座や赤坂のクラブなんかで、酔うほどに存在が消えていく年配の客を見かけることがあった。ホステスや客の話を聞くとも無く聞いて、見るからに心地よく酔っている。若いうちは、そんな影の薄い飲み方なんて、楽しくないかも、と思っていた。むしろ周囲を惹きつける話題を機関銃のように打ち込む酔客の方がカッコイイと思っていた。が、今は違う。あの無限の域に達した自然で豊かな飲み方、居るか居ないか分からない存在なのに、話をすれば人情・色恋の機微に通じ、底知れない深みに引き込まれていくような得たいの知れない通人こそ、当方の理想である。

「だからよー、オメーさんの彼女も美人ではある。が、だ、オレはママに惚れてんだ。この切ない気持ちが分かるかー。オメーさんも隣の彼女に惚れてんなら分かんだろ。しかしオメーさんの隣に居る彼女のオッパイはキレイだな。オレはオッパイも好きだ」
「分かります」
「ウン、オメーさん、オッパイが分かんのか? それとも、男の切なさが分かんのか?」
「両方です」
「それでいい…」

うーん、含蓄があるような、ないような話である。酔い方にもいろいろある。怒り上戸、泣き上戸、説教魔に口説き魔。脱ぎ魔に睡魔。

「この間、店を閉めて、外へ出ようと思ったら、足が引っ掛かるから足下を見ると、マーちゃんがパンツ一枚で転がっているんだよ。もう、驚いちゃうんだから」
「そうなんだ。この前なんか、服を丸めて枕にしてさ、路地で寝ていたんだぜ。服がドロドロでさ、このままじゃ、出勤できないから、家まで帰って着替えたよ」
「今度、店で寝てたら、宿泊代も取るからね」

若いときは、酒量の限界が分からないので、いきなり酔いつぶれて恥ずかしい思いをすることがあるが、最近は若い女性にもこの傾向が広まっている。ゴミの山に捨てられている二十歳ぐらいの女性を何度か目撃した。不思議である。オトコは捨てられることもあるが、若い女性が捨てられるケースは滅多になかったのに、最近は平気で捨てられている。まったく、どんな仲間と飲んでいるのだ。

「聞いてくれよ。この前、コイツ、オレのズボンのポケットにゲロったんだぜ。店には入れないし、タクシーには乗れないし。結局、そこのホテルでズボンと下着を洗って、乾かしてもらってよ。オマエ、オレをハメただろ」
「酔っ払った私をそのホテルでハメたのはあんたじゃないの」
「んな訳ねえだろ、みんなが信じるじゃねいか」

酒場の面白さは、酒に酔い、男と女に酔い、裸の人間模様に酔う中で、人肌の付き合いに触れ合う面白さにある。が、もうひとつは、そのような人間模様を静かに観察し、ときには相談相手になり、ときには恋の駆け引きの指南役にもなる。これまた人生の深みに触れて楽しいのである。

閑話休題

で、当方、ようやく初めて入った店の状況が掴み取れたのである。一言で言えば口説き魔の客と口説かれているママとカップルであった。2対2で、当方はお呼びでないなと思いつつ、店の中を観察する。

酒場の味わいとは、ママやマスターとの相性で決まるから、さりげなくママの人となりを観察する。歳は25〜6。大人の雰囲気を持った美人である。が、美人が持つどことなく澄ました空気はなく、明るく気さくな素人の娘さんといった雰囲気である。このママなら、きっとどんなお客さんにもモテるだろうな、と直感する。20年前の伝説のママ、N子さんを超える逸材かもしれない、とも思う。
N子さんもまた25〜6歳で小さなスナックを始め、10年で5軒、20年で10軒を超えるパブや会員制クラブやレストランを経営する、この界隈では有名なサクセスママである。今はもう50歳に到達しようと言うのに、未だに女学生のような若さと恥じらいと華やかさを持っている。当人が読むと気を悪くするかもしれないが、怪人である。

この店のママは怪人ではない。大志を秘めているとも思えない。むしろ夜のスナックやパブに集まる客がどのようなものか、その世界を興味津津に見つめている。
当方の想像ではある。が、ママは人間に興味を持って店を始めたに違いない。では、どんな人間に興味を持っているのだろうか。

「わたし、ケンさん、大好き」

先程から熱弁を振って口説く相手を、ママもまた気に入っている風だ。そのケンさんを眺めながら、ママの心情を空想する。

ケンさんと言えば、映画スターの健さんを思い浮かべる。何処となくアウトローで、危険な匂いがあり、しかも社会的な力を秘めたオトコ。乱暴で強引な行動力を持ちながら、繊細でとても傷つきやすいオトコ。
目の前のケンさんと映画スターの健さんがダブって、当方の頭の中には、通常では存在しないカッコイイ男が立ち上ってきた。

…カッコイイ男でないと、このママには訴求できないかもしれない…

健さん、かあ。当方にはムリだな…

ふとママの視線を感じる。丸い瞳が真っ直ぐコチラを見詰めている。当方、咄嗟に心の中で健さんを演じる。(カアー、演じられるワケ、ねーだろ)

ドギマギしていると、調度、女性客がふたり入ってきたのを潮時に、ポケットから札を出し席を立った。

…今度は、健さんの映画を観てから、この店に来よう…

当方、いつになく訳の分からない納得をして、夜の街を去る。

そう、正直に告白しよう。当方、美人ママは苦手である。が、本心は、どんな客も健さんに変えてしまう小さなスナックのママ大好き。